蕎麦をうつ、
その三十分のこと。
Thirty quiet minutes — flour, water, and a stranger's hands at work, in a small kitchen in Shinshū.
- 文
- 山岸 薫
- 撮影
- 田中 譲
- 取材
- 長野県・松本
- 季節
- 立春 / 雨水のころ
Thirty quiet minutes — flour, water, and a stranger's hands at work, in a small kitchen in Shinshū.
蕎麦を打つ手元を、ちゃんと最初から最後まで見たのは、これがはじめてだったかもしれない。立春を過ぎてすぐの土曜日、長野県・松本市の郊外に、三年前に開いた小さな蕎麦店「山崎」を訪ねた。店主の山崎雅敏さん、四十八歳。前は東京の出版社にいた、と聞いた。粉と向き合うようになったのは、四十を過ぎてから。
厨房はとても狭い。流し台と作業台と石臼が一台ずつ、三歩で端から端まで行ける。山崎さんは、店を開ける前のひと仕事として、その日の客数ぶんの蕎麦をその場で打つ。八席ぶん。だいたい三十分くらいで終わる。横で見せてもらった[1]。
最初は粉だけ。木の鉢に、信州・八ヶ岳南麓で挽いた蕎麦粉を九、つなぎの小麦粉を一。指でぐるりと混ぜる。「きょうは少し湿っているね」と山崎さんが言う。湿度のこと。蕎麦打ちは、その日の空気の話から始まる。「乾いている日は水が多く要る。今日はたぶん、ふだんより十グラム少なめで足りる」。
水は、近くの井戸水を汲んできて、前の晩から鉢に出しておく。冷たすぎないように、温度を空気に馴染ませる。それを少しずつ、粉のうえに振りかけていく。指は、まだ握らない。指先で粉と水をこすりあわせる感じ。[2]
「最初の三分は、粉のなかで水を散らしているだけ。 粉を握って固めるのは、その後でいい」 山崎 雅敏(蕎麦店 主人)
三分が経つと、粉のなかに、ぽつぽつと小さな粒が出来てくる。それを集めて、ようやく握る。塊にする。塊にしてからは、もう速かった。手のひらの根もとで、生地を押し広げ、折りたたみ、また押し広げる。これを「のし」というのだと、後で教えてもらった。生地は、最初は黒っぽく粗かったが、しだいに肌理が細かくなり、二十分が過ぎるころには、白い縁のある、つるりとした円盤になっていた。
いちばん長く見ていたのは、最後の「切り」のところだった。蕎麦切り包丁は、刃渡り三十センチほどの、ずしりとした一本。山崎さんが、独立する前から使っているのだという[3]。生地を細長くたたんで、その端から、一本ずつ、切っていく。リズムは、こちらが思うよりもずっと遅い。ひと太刀ごとに、刃を少しだけ横にずらす。
「切るというよりも、刃を生地の上に置く感じ」と、山崎さんは言った。力で切るのではない。包丁の重みが、生地の上で麺を作っていく。切られた蕎麦は、白木の台の上に、左から右へと、流れていく雪のように溜まっていった。
三十分は、思っていたよりも長かった。けれど、終わってみると、これでも短く感じる、という不思議があった。粉と水と、空気と、手と。それだけのことが、麺になる。横で見ていただけのこちらにも、なにか少し、肩のあたりの力が抜けていた。
連載「台所の小窓」 第十四回 / 全話を読む — 山岸薫 著